COLUMN

MOOVIN' JAPANESE 〜揺れ動く日本語たち

 1    濃厚接触
更新日時:
2020/08/26
新型コロナウィルス対策で、急に浮上した言葉である。ただし他人とどれくらいの接触があれば「濃厚」と判断すべきかという定義は難しい。国立感染症研究所においては数項目にわたる定義を示しているものの、このような権威ある機関であっても2020年4月には早くも定義を変更している。
その中の一項目では
 
・変更前:「2メートル以内かつ15分以上の接触」
・変更後:「1メートル以内かつ15分以上の接触
 
としているが、PCR検査を実施する際の運用としては保健所や病院によってばらつきがあるようだ。また、今回の感染症流行以前には、体の直接的接触なしで行列したり会話したりすることを「接触」とは思わない人がほとんどであった。
たとえば、脇の下や耳に器具を入れないで測ることのできる体温計を「非接触体温計」と言うではないか。
 この接触という言葉を使う際、筆者が以前から違和感を覚えていたのが駅の放送である。
事故があった場合、「○○で人(クルマ)が電車に接触したため、□□駅と△△駅との間で
運転を見合わせています。」という表現である。筆者の感覚だと、「接触」というのは「人(物)と電車が同一方向に擦れた、こすった」という感じがするのだ。人の場合はそれでもかなりの大ごとだが、クルマの場合はお互いに軽症という感じがする。ところが、例えば踏切でクルマが電車に対して直角にぶつかった場合でも「接触」と報道される場合が多い。筆者の感覚ではこの場合は「衝突」と言ってほしいのだ。
 
 したがって、握手、ハグ、キス、さらには性交渉以外のお付き合いの時に体が接触していないのに「接触」と呼ぶのにも抵抗がある。言葉としては「肉体的接触」も包含した「接近」の方がよいと思う。
 
 そもそも「接触」とは何か? 手元の辞書によると、「ふれあうこと」とある。これはわが国辞書の欠点である。元々漢語を和語で説明するのが古代からの辞書の役割だったからである。それでは「ふれあう」とは何か? ということになる。もちろん、「ふれる」は人(物)と人(物)の距離が物理的にゼロになる(する)ことだ。ただし、今では地方自治体などが「ふれあいの広場」というようなネーミングを多用しているので人と人の心理的距離を近づける意味に援用されることが増えた。これは東日本大震災(2011年)以後、一気にその傾向が強まったのだ。
 
 「濃厚接触」の場合の「接触」も、この心理的「ふれあい」の意味が感じ取られるから人々に抵抗なく受け入れられたのではないかと思う。
 
[参考文献]
 
山田忠雄・他2012『新明解国語辞典第七版』三省堂
 
国立感染症研究所HP
https://www.niid.go.jp/niid/ja/
新型コロナウィルス対策で、急に浮上した言葉である。ただし他人とどれくらいの接触があれば「濃厚」と判断すべきかという定義は難しい。国立感染症研究所においては数項目にわたる定義を示しているものの、このような権威ある機関であっても2020年4月には早くも定義を変更している。
その中の一項目では
・変更前:「2メートル以内かつ15分以上の接触」
・変更後:「1メートル以内かつ15分以上の接触
 
としているが、PCR検査を実施する際の運用としては保健所や病院によってばらつきがあるようだ。また、今回の感染症流行以前には、体の直接的接触なしで行列したり会話したりすることを「接触」とは思わない人がほとんどであった。
 この接触という言葉を使う際、筆者が以前から違和感を覚えていたのが駅の放送である。
事故があった場合、「○○で人(クルマ)が電車に接触したため、□□駅と△△駅との間で
運転を見合わせています。」という表現である。筆者の感覚だと、「接触」というのは「人(物)と電車が同一方向に擦れた、こすった」という感じがするのだ。人の場合はそれでもかなりの大ごとだが、クルマの場合はお互いに軽症という感じがする。ところが、例えば踏切でクルマが電車に対して直角にぶつかった場合でも「接触」と報道される場合が多い。筆者の感覚ではこの場合は「衝突」と言ってほしいのだ。
 
 したがって、握手、ハグ、キス、さらには性交渉以外のお付き合いの時に体が接触していないのに「接触」と呼ぶのにも抵抗がある。言葉としては「肉体的接触」も包含した「接近」の方がよいと思う。
 
 そもそも「接触」とは何か? 手元の辞書によると、「ふれあうこと」とある。これはわが国辞書の欠点である。元々漢語を和語で説明するのが古代からの辞書の役割だったからである。それでは「ふれあう」とは何か? ということになる。もちろん、「ふれる」は人(物)と人(物)の距離が物理的にゼロになる(する)ことだ。ただし、今では地方自治体などが「ふれあいの広場」というようなネーミングを多用しているので人と人の心理的距離を近づける意味に援用されることが増えた。これは東日本大震災(2011年)以後、一気にその傾向が強まったのだ。
 
 「濃厚接触」の場合の「接触」も、この心理的「ふれあい」の意味が感じ取られるから人々に抵抗なく受け入れられたのではないかと思う。
 
[参考文献]
 
山田忠雄・他2012『新明解国語辞典第七版』三省堂
 
国立感染症研究所HP
https://www.niid.go.jp/niid/ja/
新型コロナウィルス対策で、急に浮上した言葉である。ただし他人とどれくらいの接触があれば「濃厚」と判断すべきかという定義は難しい。国立感染症研究所においては数項目にわたる定義を示しているものの、このような権威ある機関であっても2020年4月には早くも定義を変更している。
その中の一項目では
・変更前:「2メートル以内かつ15分以上の接触」
・変更後:「1メートル以内かつ15分以上の接触
 
としているが、PCR検査を実施する際の運用としては保健所や病院によってばらつきがあるようだ。また、今回の感染症流行以前には、体の直接的接触なしで行列したり会話したりすることを「接触」とは思わない人がほとんどであった。
 この接触という言葉を使う際、筆者が以前から違和感を覚えていたのが駅の放送である。
事故があった場合、「○○で人(クルマ)が電車に接触したため、□□駅と△△駅との間で
運転を見合わせています。」という表現である。筆者の感覚だと、「接触」というのは「人(物)と電車が同一方向に擦れた、こすった」という感じがするのだ。人の場合はそれでもかなりの大ごとだが、クルマの場合はお互いに軽症という感じがする。ところが、例えば踏切でクルマが電車に対して直角にぶつかった場合でも「接触」と報道される場合が多い。筆者の感覚ではこの場合は「衝突」と言ってほしいのだ。
 
 したがって、握手、ハグ、キス、さらには性交渉以外のお付き合いの時に体が接触していないのに「接触」と呼ぶのにも抵抗がある。言葉としては「肉体的接触」も包含した「接近」の方がよいと思う。
 
 そもそも「接触」とは何か? 手元の辞書によると、「ふれあうこと」とある。これはわが国辞書の欠点である。元々漢語を和語で説明するのが古代からの辞書の役割だったからである。それでは「ふれあう」とは何か? ということになる。もちろん、「ふれる」は人(物)と人(物)の距離が物理的にゼロになる(する)ことだ。ただし、今では地方自治体などが「ふれあいの広場」というようなネーミングを多用しているので人と人の心理的距離を近づける意味に援用されることが増えた。これは東日本大震災(2011年)以後、一気にその傾向が強まったのだ。
 
 「濃厚接触」の場合の「接触」も、この心理的「ふれあい」の意味が感じ取られるから人々に抵抗なく受け入れられたのではないかと思う。
 
[参考文献]
 
山田忠雄・他2012『新明解国語辞典第七版』三省堂
 
国立感染症研究所HP
https://www.niid.go.jp/niid/ja/
新型コロナウィルス対策で、急に浮上した言葉である。ただし他人とどれくらいの接触があれば「濃厚」と判断すべきかという定義は難しい。国立感染症研究所においては数項目にわたる定義を示しているものの、このような権威ある機関であっても2020年4月には早くも定義を変更している。
その中の一項目では
・変更前:「2メートル以内かつ15分以上の接触」
・変更後:「1メートル以内かつ15分以上の接触
 
としているが、PCR検査を実施する際の運用としては保健所や病院によってばらつきがあるようだ。また、今回の感染症流行以前には、体の直接的接触なしで行列したり会話したりすることを「接触」とは思わない人がほとんどであった。
 この接触という言葉を使う際、筆者が以前から違和感を覚えていたのが駅の放送である。
事故があった場合、「○○で人(クルマ)が電車に接触したため、□□駅と△△駅との間で
運転を見合わせています。」という表現である。筆者の感覚だと、「接触」というのは「人(物)と電車が同一方向に擦れた、こすった」という感じがするのだ。人の場合はそれでもかなりの大ごとだが、クルマの場合はお互いに軽症という感じがする。ところが、例えば踏切でクルマが電車に対して直角にぶつかった場合でも「接触」と報道される場合が多い。筆者の感覚ではこの場合は「衝突」と言ってほしいのだ。
 
 したがって、握手、ハグ、キス、さらには性交渉以外のお付き合いの時に体が接触していないのに「接触」と呼ぶのにも抵抗がある。言葉としては「肉体的接触」も包含した「接近」の方がよいと思う。
 
 そもそも「接触」とは何か? 手元の辞書によると、「ふれあうこと」とある。これはわが国辞書の欠点である。元々漢語を和語で説明するのが古代からの辞書の役割だったからである。それでは「ふれあう」とは何か? ということになる。もちろん、「ふれる」は人(物)と人(物)の距離が物理的にゼロになる(する)ことだ。ただし、今では地方自治体などが「ふれあいの広場」というようなネーミングを多用しているので人と人の心理的距離を近づける意味に援用されることが増えた。これは東日本大震災(2011年)以後、一気にその傾向が強まったのだ。
 
 「濃厚接触」の場合の「接触」も、この心理的「ふれあい」の意味が感じ取られるから人々に抵抗なく受け入れられたのではないかと思う。
 
[参考文献]
 
山田忠雄・他2012『新明解国語辞典第七版』三省堂
 
国立感染症研究所HP
https://www.niid.go.jp/niid/ja/
 



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