COLUMN

MOOVIN' JAPANESE 〜揺れ動く日本語たち

 25    ケータイ
更新日時:
2010/10/10
:2010/10/10
 
携帯電話のことを「ケータイ」と呼ぶのに、未だに抵抗を覚えるのは私
だけかもしれない。私も、会話ではもっぱら「ケータイ」と言っている
のだが、文章中で、「携帯」と書かれているのを見ると違和感があり、
「ケータイ」なら新語として、まあ、許容できる。
 
もちろん、携帯**という道具が携帯電話以外にたくさんあるからに
他ならない。携帯時計(一昔前まで電車の運転手が持っていた)、携帯灰
皿、携帯吊革(あるんですよ、これ)。。。しかし、携帯電話以外のこれ
ら携帯グッズはそれほど普及していないので、世間の人は気にならない
のであろう。
 
どうして、主名詞(電話)を完全に省略して修飾語句(携帯)だけ残すのであ
ろう。主要部(電話)の本来の機能明示がなくてよいのか?
人々の生活で、修飾語句の方が普通の生活の手段になってしまったから
であろうか。スーパーマーケット→スーパー然りである。
さらに、「ケータイ」の機能が電話以外にもメール、写真、ゲーム。。。と
どんどん機能が広がってしまったからかも知れない。
 
あるいは、ピアノフォルテ→ピアノのように並列の言葉で、単純に順番
として前の単語を残したに過ぎないのかも知れない。
「弱く強く」弾ける楽器がどうして「弱く」だけになってしまうのだ?
修飾語句とか、主要部とか関係なく、人々は単純に語順が早い単語を残
しているのだろうか?
 
外国語では、「携帯電話」を省略してどう言うのか調べてみると、
 
傾向1:携帯+電話 →携帯 
[英語]・・・cellular phone →cellular
[デンマーク語]・・・mobil telefon →mobil
傾向2 電話+携帯 →携帯
[ベトナム語]・・・dien thonai camtay →camtay(手持ち)
    [ヘブライ語]・・・telefon-selurari →selurari
 
つまり、修飾語句が前に来ようが後ろに来ようが、省略されて残るのは
修飾語句の部分だ。この件に関しては人々の思考回路に無意識的に論理
が大いに働いているということだ。
 
[参考文献] 窪薗晴夫 2002:「新語はどうして出来上がるのか?」岩波書店
 



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