1966年2月、筆者が高校入試を控えた紅顔の美少年の頃、画期的な曲が現れた。
ジャッキー吉川とブルーコメッツの"青い瞳(英語盤)"(橋本淳作詞、井上忠夫作曲)である。この曲は日本における弾きながら歌うバンド曲の原型とされている。(この曲の詳細な分析は本ホームページの別稿に譲る。)が、それ以前に歌謡曲の中で、洋楽サウンドへの志向が見られた曲がいくつかある。
第二次世界大戦敗戦直後の昭和20年代(1945年〜1954年)は復興に向かって立ち上がる人々の気持ちを癒すため、明るい歌が多かったのはよく知られたことである。
その代表とされるのが「りんごの唄」(万城目正作詞、仁木他喜雄作曲、並木路子、霧島昇・歌)
や「青い山脈」であり、「東京ブギウギ」である。
優等生的な明るい歌とは対照的に、「東京ブギウギ」(鈴木勝作詞、服部良一作曲)はアメリカ文化をうまく吸収した曲で、その後の日本のポップスにおける飽くなき洋楽化への試みの端緒である。
この曲は同時期の歌謡曲と比較してかなりのリズム重視である。この頃の録音は当然"一発"録音のためドラムはかなりのOFFであり、一定のビートは主にウッドベースの音によってキープされているように聞こえる。
ブルーノートはサビだけに現れる。
ブルーノートとはメージャーキー(長調)において、第三音(ミ)と第七音(シ)が半音近く下がっているスケールのことである。(時には第五音(ソ)も下がることがある。)
こうした単に明るいという印象だけの曲とは一線を画す洒落た曲が1954年(昭和29年)の
「雪の降る町を」(内村直也作詞、中田喜直作曲、高英夫歌)である。
http://www.youtube.com/watch?v=tPSEGXGqE78
昭和20年代後半(1950年〜1955年)はクラシックの素養をもった歌手のヒット曲が目立ち、この曲もクラシック的歌唱であるが、曲自体は非常にポップス的である。
当時のジャズ系バラードにうまく乗るメロディーが途中で同主調(イ短調→イ長調、Am→A)に転調する部分が非常に洒落ている。
メジャー・キー(長調)になった後はところどころにノンダイヤトニック・コード(クラシック和声学では準固有和音)を入れ、2コーラス目の初めでマイナー(短調)に戻るための心の準備をしている。
そして最後に付加されたフレーズで完全にマイナーに戻ったと思わせて、最後の音だけ同主長調のAコードにして終わらせている。
心にくい演出である。
ところどころに登場する三連符メロディーも効果的である。
この曲は教科書に掲載されたことにより覚えた人が多いため、唱歌や童謡に分類されることが常で、作曲者がクラシック系の人だったこともあり、歌謡曲としては紹介されない。
しかし、元はといえば、ラジオ歌謡として発表された曲。
和製ポップス〜J-POPの垢抜けた曲作りのルーツとして、後年まで評価されるべき曲だと思う。
ただ、この伴奏は終始、歌メロをオーケストラが同じメロディーをなぞっている。当時の歌謡曲のアレンジはこれが普通だったとは言え、この点だけは残念である。
同主調への転調を持つ曲が大ヒットした例はその後もあまりない。8年後、吉永小百合/和田弘とマヒナスターズによる「寒い朝」(1962年、佐伯孝夫作詞。吉田正作編曲)が目立つ。
この曲は北風を思わせるバックのストリングスが際立っているが、基本的には当時の歌謡曲アレンジの域を脱し得ない。
伴奏アレンジの洗練化は同じ頃、中村八大、宮川泰の両名に委ねられていたと言えよう。
逆にメージャーからマイナー同主調への転調はヒット曲ではさらに使用例が少なく、渡辺美里の「サマータイム・ブルース」(1990年、渡辺美里作詞作曲、奈良部匠平編曲)が目立つ。
このタイプの転調はうまく処理されていれば、たいへん洒落たサウンドとなり、筆者の好きなパターンである。
「サマータイム・ブルース」では落ちついたサビになだれ込む際のストリングス・フレーズが秀逸で、晴天の空が一気に流れてくる雲に覆われ、一時的に陰る様子が目に見えるようである。
(つづく)
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