1970年代はフォーク系シンガーソングライターが歌謡曲界に進出した時代である。常に新しい感覚を求めるレコード業界はフォークシンガー特有の弾き語り風の楽曲に目をつけたのだ。「弾き語り」とは弾きながら歌うことを指すが、どちらかというとメロディーラインよりも歌詞の内容を重視した作風は散文を読み上げているような歌で、文字通り「弾き語り」と言える。
吉田拓郎、谷村新司、小椋圭などである。
この人たちの作風について、よく言われるのが「それまでの一音符に一文字主義から脱した作り方」という論評である。しかし、それは正確な見方に当たらない。元々、この系統の作家に音符という概念が希薄であろうことは明確だからだ。それ以前の韻文を前提とした詞ではなく、敬体(です、ます形式)をも使った散文とギターのコードをつま弾きながらのメロディーが同時進行で作られる。
このようなフォーク系の曲を載せた楽譜集には十六分音符が羅列されているが、本来はそれほど細かく表記する必要はない。
そのメロディーに倚音、いや刺繍音などによるテンション・リゾルブはほとんどないので、細かく音符にする必要はあまりないのだ。極端に言うと、同じ音程が続き、息継ぎが無い間は音符ひとつでもよいはずだ。
まあ、楽譜表記の考え方や必要性論議は本質としてはあまり重要ではないのだが、これらの作家が歌謡曲界に新しい空気をもたらしたことだけは確かである。
中でも、吉田拓郎による「付加的後接メロディー」(注*)は特に斬新であった。
注*「付加的後接メロディー」
・・・この用語は筆者が命名した言葉であり、音 楽理論の世界で認知されているわけではない。
吉田拓郎は1972年の「結婚しようよ」(吉田拓郎作詞・作曲・歌)の大ヒット後、楽曲提供依頼が殺到し、1973年、ついに由紀さおりが歌う「ルームライト(室内灯)」(岡本おさみ作詞・吉田拓郎作曲・木田高介編曲)で歌謡曲界への楽曲提供の端緒となった。
吉田拓郎は元々、アレンジャー的なサウンドづくりを行わない人ではあるが、メロディーの構成の点ではユニークな嗜好を持つ人である。
楽曲のひとつのまとまり、つまりコーラスが一通り終わった後、予期せぬメロディーが登場させるのが好きなのだ。1980年代後半以降、楽曲構成の拡大が進み、A-B-C-D-Eというように次から次へと新たなモチーフが出て来る曲が普通になったが、吉田拓郎が好むのは「予期せぬ新たなモチーフ」である。明らかにそれまでの一部、二部、三部形式などという理論では説明できない構成である。
この予期せぬメロディーを筆者は「付加的後接メロディー」と呼ぶ。平たく言うと、「とってつけた感じ」とでも言えばよいだろうか?
(つづく)
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